本物の履歴書
渡部貴子|「なんとかなる」と歩んだ突然の事業承継、人の可能性を信じる経営と「制限を超えていける社会」への道のり
「目の前の利用者さんを、置き去りにはできない」
精神科認定看護師として訪問看護事業を展開する、KONOKI | 桂乃貴メンタルヘルスケア株式会社代表取締役・渡部貴子さん。2013年、存続が難しくなった訪問看護部門と、そこを必要とする利用者やスタッフを守るために事業を引き継いだ。独立後は地域のニーズに応えながら、精神科・認知症領域へと専門性を深めてきた。突然始まった経営を支えてきたものは何だったのか。その歩みと、人の可能性を信じ続ける姿勢を紐解いた。
人物紹介
渡部貴子さんの丁寧な語り口の奥には、簡単に人を見限らない強さがある。精神科訪問看護の現場と経営の両方に立ち合いながら、利用者と働く人の可能性を広げてきた人物だ。利用者を地域で暮らす一人の生活者として捉える姿勢が、渡部さんの支援の根底にある。
急性期病院での看護や看取りを経験した後、在宅医療の道へ進み、20年以上にわたって訪問看護に携わってきた。複数の訪問看護ステーションの立ち上げや運営を経験し、精神科認定看護師としても、精神疾患や認知症のある方とその家族の地域生活を支えている。
現在は訪問看護の運営に加え、精神科看護を担う人材の育成、研修・講演、執筆、カウンセリングなどにも活動を広げている。
退院の先にある、地域でのリスタートを支える
ハートフル訪問看護ステーションは、高齢者や身体疾患、終末期の方への在宅看護を基盤に開業した。渡部さんは独立前から精神科患者への訪問も経験していたが、開業当初は終末期の利用者が多かったという。
その後、地域に精神科領域へ対応できる訪問看護ステーションがほとんどなく、担い手も少ないという課題を受け、精神科・認知症領域へ専門性を深めていった。
「誰かが着手しなければ彼らを助けることはできません。当社は高齢者の訪問看護ステーションから始めて、精神科にも対応できることをうたい始め、今に至っています」
現在、ハートフル訪問看護ステーションでは、看護師や作業療法士などが連携し、精神疾患や認知症のある方とその家族の暮らしを支えている。
こうした精神科訪問看護の必要性を高めていた社会的な背景には、精神科医療が入院中心から、必要な治療を受けながら地域で暮らす形へと移ってきたことがある。
一方、退院後の服薬や生活、復職、地域とのつながりを継続して支える体制は、十分とは言い切れない。その過程には、医療だけでは埋められない支援が必要になる。
渡部さんたちが担うのは、利用者さんの状態管理だけではない。治療やリハビリ、回復の過程に伴走し、ときに仕事へ、ときに地域の一員としてのリスタートを支える。
今では、地域では「精神科ならハートフルさん」と呼ばれ、まもなく14年を迎える。
志ではなく、目の前の利用者から始まった会社
会社の始まりを尋ねると、返ってきたのは起業家らしい成功物語とは正反対の言葉だった。
社長になりたいと思ったことも、独立を計画したこともなかったという。
当時関わっていた医療法人で、訪問看護部門の継続が突然難しくなった。事業を手放す話が進むなか、部門を引き受けるよう求められ、3か月で会社を立ち上げることになった。理念や社名を時間をかけて練るような創業ではない。
渡部さん自身、てんやわんやの始まりだったと振り返る。
それでも、利用者はすでにそこにいた。支援が途切れれば、生活も医療も立ち行かなくなる人たちだ。当時は、引き継ぎ先として頼れる訪問看護ステーションも今ほど多くなかった。
経営者になる覚悟が先にあったのではない。利用者をないがしろにはできないという判断が先にあり、その結果として経営を引き受けた。
何も分からない創業期に、手を差し伸べた人たち
準備のないまま始まった会社には、資金も経営の知識も十分にはなかった。
当初聞いていた資金援助の話が進まず、後になって負債やのれん代に関する話まで持ち上がった。社会的常識も分からないまま受けてしまったと、渡部さんは率直に語る。
「つらいとか言っている場合ではなく、とにかくやるしかなかった。でも振り返ると、いざという時はいろいろな人が助けてくれたんです」
その危うさを支えたのが、以前から一緒に働いていた看護師、取引先の担当者、友人の税理士だった。
会社のつくり方を教えてくれた彼らのおかげで、必要な手続きを進め、資金面でも道筋をつけられた。誰か一人ではなく、それぞれができることを持ち寄ってくれたのだ。
周囲から人徳ではないかと問われても、「見かねて助けてくれただけ」「ラッキーだった」と渡部さんは笑う。
しかしながら、突然の独立についてきたスタッフがいたこと、取引先が動き、友人が専門知識を差し出してくれた事実は、創業以前から積み重ねていた関係の厚みを物語っている。
「なんとかなる。本当にそうでした」
この言葉は、根拠のない楽観ではない。
先の見えない状況でも役割を手放さずに動いたこと。そして、いざという時に助けてくれる人がいたこと。
その両方を経験した渡部さんだから出てきた、実感のこもった言葉である。
この人は変わらない、で終わらせない
どんな状況でも変わらず大切にしてきた価値観として、渡部さんが挙げたのは、「信じること」だった。
「この人は変わらないだろうで終わらせるんじゃなくて、いつかの気づきにつなげる、つなげられるように伝え続ける」
精神疾患や障害によって、仕事や結婚、生活の選択肢まで諦め、自分にはできないと考える人は少なくない。
本人が可能性を見失っている時ほど、支援する側まで見限ってしまえば、その先は閉ざされる。だからこそ、一人ひとりの可能性を信じ抜くことが、経営でも看護観でも大事だと考えている。
利用者さんだけでなく、働くスタッフに対しても同じだ。
面接では本来の実力や才能を発揮する姿を想像できなかった人が、現場に入ると意外な長所を見せることもある。
「相手をこういう人だっていう括らない。決めつけないことを、私は大事にしています」
長く現場に立ち、多くの患者と向き合うなかで「決めすぎてたな」「この可能性に気づけなかったな」と思う瞬間が、渡部さん自身の価値観を変え、確固たるものとして鍛えることとなった。
人を一定の枠に入れ、その可能性を縮ませない。
現場で何度も自分の見立てを覆されてきた経験が、この姿勢を育てている。
制限を超えるために、まっとうな精神科看護を増やす
同社が掲げるビジョンは、「制限を超えていける社会」の実現である。
制限は、病気や障がいだけから生まれるものではない。本人の思い込み、周囲の決めつけ、地域や社会に残る偏見も、人の選択肢を狭めていく。
精神科訪問看護は、それらの制限を少しずつ緩め、その人らしい生活を取り戻すための手段だと渡部さんは捉えている。
その一方で、精神科領域を安易に収益へ結びつけ、十分に学ばないまま参入する事業者や医療者への危機感も強い。
支援の質が低ければ、傷つくのは利用者である。他人への不信感を深め、再び孤立することにもつながりかねない。
必要なのは、事業者の数だけではない。精神科看護を理解し、実践し、仕事の面白さと責任を引き受けられる人を増やすことだ。
渡部さんが講師を務める精神科看護の講義では、各地の精神科医療現場で働く受講者が、その考え方や実践の意味を理解してくれている。
しかし、それぞれの職場に戻れば、周囲に理解者やともに実践する仲間が少なく、せっかくの気づきが一時的なものに終わってしまうこともある。
同じ方向を向いて実践できる仲間を、点ではなく面で増やす必要があるのだ。
AIに任せること、人が引き受けること
医療現場には、多くの記録や会議内容の整理が伴う。現場でも、記録の統合やミーティングの要約など、業務を効率化するためにAIの活用を進めている。
入力や整理に追われる時間が減れば、目の前の人の話を聞くことに集中できる。ただし、すべてを任せられるわけではない。
共に感じる力、耳をそばだてて聴く力、信頼関係を築く力は、使わなければ衰えていく。
なんでもAIに尋ね、答えに従うだけになれば、自分で考え、感情を扱い、意思を決める力まで弱くなりかねない。
効率化によって人に向き合う時間を取り戻し、その時間の中で人間にしか担えない力を磨く。
何を任せ、何を手放してはいけないかを見極めることが、渡部さんのAIとの向き合い方である。
種をまき、伝え続ける
精神科看護への理解を広げるため、講演や研修、執筆などの活動を続けて種をまき続けている。
本人は、「同じことを伝え続けているだけ」だと表現する。
しかし、価値観は一度聞いただけで定着するものではない。現場で迷うたびに立ち返れる言葉として、繰り返し届ける必要がある。
目指すのは会社だけが選ばれる状態ではない。
まっとうな支援ができる人と組織が増え、利用者さんが地域の中で自分の人生を選び直せる状態である。
相談できること
- 精神疾患や認知症のある方への訪問看護と地域生活支援
- 退院後の療養、生活の立て直し、社会復帰に向けた支援
- 精神科看護に関する研修、講演、人材育成
- 家族や支援者を含めたメンタルヘルスの相談
- 精神科訪問看護の組織づくりや現場教育
- メンタルヘルスリテラシー向上のための講演
- 企業・人事向けの社外保健室としてのメンタルヘルス支援、従業員への面談・相談対応
読み解く要点
- 独立願望ではなく、支援を途切れさせない責任から経営を引き受けた
- 創業時の危機を、スタッフ、取引先、友人との関係に支えられて越えた
- 利用者さんにもスタッフに対しても、こういう人だと決めつけず、変化する可能性を信じる
- 事業拡大より先に、精神科看護の質と担い手を増やすことを重視している
- AIを効率化に使いながら、共感力、傾聴力、思考力、信頼関係構築力は人が磨き続けるべきだと考えている
よくある質問
Q. 渡部貴子さんは、どのような事業を行っていますか。
A. 精神科・認知症領域を中心とする訪問看護、地域生活支援、人材育成、研修・講演、メンタルヘルス支援などに取り組んでいます。
Q. 渡部貴子さんが起業したきっかけは何ですか。
A. 関わっていた医療法人で訪問看護部門の継続が難しくなり、利用者とスタッフの支援を途切れさせないために、急きょ事業を引き受けました。
Q. 「制限を超えていける社会」とは、どのような社会ですか。
A. 病気や障がい、本人の思い込み、周囲の決めつけ、社会の偏見によって選択肢を狭められず、一人ひとりが自分らしく暮らせる社会です。
Q. 精神科訪問看護で大切にしていることは何ですか。
A. 病状だけを見るのではなく、地域で暮らす一人の「生活者」として関わり、本人の可能性を決めつけず、回復や生活の再構築を一緒に進めることです。
Q. AI時代に人間へ求められる力を、どう考えていますか。
A. 共に感じる力、丁寧に聴く力、信頼関係を築く力です。自分で考え、感情を扱い、他者と関係を築く力は人が磨き続ける必要があると考えています。
圓編集部コメント
周囲からの助けについて、「見かねて助けてくれた」「ラッキーだった」と、渡部さんはあくまで飾らずに振り返っていらっしゃいます。
ただ、スタッフや取引先、友人たちが次々と力を貸したことは、困難な状況でも渡部さんについていきたい、支えたいと思わせる信頼と人徳が、そこにはあったのだと感じます。
また、「なんとかなる」という言葉の背後にあるのは、自分一人の力で乗り越えたという自負ではありません。ついてきてくれたスタッフ、動いてくれた取引先、専門知識を惜しみなく差し出してくれた友人たちへの感謝があります。
そして、渡部さんの経営は、関わる人の可能性を決めつけず、待つことに重心を置いています。
利用者さんや働く人の可能性を見限らず、信じる側に立ち続ける姿勢は、次世代のリーダーにも大切にしてほしい在り方です。
その「待つ力」は、精神科看護の現場において、人がもう一度、自分の人生を選び直すための支えになっているのではないでしょうか。